「わかり方」の探求
佐伯胖,「わかり方」の探求,小学館,2004
- 暗記と機械的な反復練習で学ばせようとする授業の中では,人工的に,「できる」だけが,「わかる」から切り離されている。しかし,このようにして,「わかる」から分離されてしまった「できる」は,実は案外「できない」のではないだろうか。テストの形で出た問題に対しては,一応「できる」ように見受けられる。しかし,現実の社会でもさまざまな事態に対して,自らの知識を活用できるかといえば,これは全く「できない」のである。 このような「見かけ上の」できる力を,真のできる力にもどすためには,「できる」ということを文化的営みへの参加として位置づけ直すことにあると考える。
- このような未熟なモノマネの存在こそ,乳児や子どもが生まれながらにして文化の参加者になろうとしていることを示していると解するのである。
- ロシアのブィゴツキー流にいえば次のようになるであろう。「参加は理解に先行する。人はものごとを理解するより前に,大人の行為のマネや,大人に助けられた社会的文化的行為のなぞりによって,文化的営みへの参加のレベルを深めていく。しかし,子どもはしだいに,『理解』そのものが文化的に受け入れられることを知りはじめ,理解をつくり出そうとする。その段階で,さきに,ほとんど無反省的に取り込まれていた行為が,意味理解によって吟味されたり,裏付けられるのである。」
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